三世因果(過去世・現在世・未来世)についての説明です。
因果の道理は、大宇宙の真理。
その因果の道理は、
結果には必ず原因がある。原因無しに起こる結果は万に一つ、億に一つも無い。
というものでした。
この因果の道理という真理から、仏教では、過去世と未来世のあることが、きわめて論理的に導かれます。
私たちが生まれてきたのは結果であることは間違いないでしょう。
結果には必ず原因があるのですから、生まれてきたことにも原因があるはずです。
「生まれてきたことに原因なんてあるはずがない、偶然だよ」
と、言う人があるかもしれません。しかし、
など、生命の不思議は絶えません。これらすべてを「偶然」と片付けてしまうのは、あまりにも非科学的ではないでしょうか。
また、世の中には賢く生まれる人やルックスがよく生まれる人もある一方で、障害を持って生まれる人、生まれてすぐに死んでしまう人もあります。
それらを「偶然」と言ってしまえるのは、自身が幸福な人だけでしょう。
自分が生まれてきたのは、紛れもなく、自分自身の結果です。
ならば、自因自果の因果の道理から言って、自分が生まれてきた原因は、自分に無ければなりません。
また、原因は結果より過去にあるものです。原因が結果の後にくることはありえませんから、自分が生まれた原因は、生まれてくる前にあったはずです。
なので、過去世が無ければならない、ということになります。
なぜならば、過去世が無ければ、私が生まれてきた原因が無くなってしまうからです。
今度は未来世について考えてみましょう。
たとえば、人を10人殺した男がいたとします。
その男はまず死刑になるでしょうが、死刑は1度きりです。死んでしまった人間を、もう一度死刑にすることはできません。
つまり、男が殺した人数は10人なのに、男は1度しか殺されないのです。
こんな理不尽があるでしょうか。残る9人分の報いが返ってきていないではありませんか。
しかし、仏教では、その報いは未来世で受ける、と説かれています。逆に未来世が無ければ、やった行いの報いが返ってこない、というおかしなことになってしまうのです。
これで、因果の道理1つから、過去世と未来世のあることが分かりました。
過去世と未来世がある、と言われても普通はピンとこないでしょう。誰も、生まれる前のことは覚えていないからです。
しかし、私たちの肉体は滅びていくものですから覚えていないのも無理はありません。そうした滅びていく肉体ではない、過去・現在・未来と生き続ける永遠の生命、それを仏教ではアラヤ識と言います。
アラヤ識については、次のページでお話します。